散歩シリーズ
それは誰にもわからない
18.12.19
もうすぐ平成という時代が終わる年の瀬。
わたしは散歩に出た。
なるべく車や自転車の来ない、
静かな路を選んで歩くうちに、
3メートルほどの高い塀が
敷地全体を囲む一角に出ていた。
塀から母屋までの距離があるからか、
樹々が周囲の音を吸収しているからなのか、
この辺りは元々落ち着いた地域だけど、
ここは更に人の気配が感じられない。
わたしが歩いていると、
ちょうどガラガラと門が開き
一台の車が厳かに出て行った。
一応、人はいるんだ・・・。
裏門だけれど、
かなり立派である理由は、
そこが高輪皇族邸
だからだろうか。
天皇陛下が存命で退位するのは
200年ぶりの事らしく、
来年には現天皇皇后両陛下が、
皇居からここへ移ってこられるという。
通常新しい時代は、
ある日突然黒船が来るようなもので、
何だか見たことが無いのが来たけれど、
忙しく日々を過ごすうち、
少し慣れて、
新しい時代に気づくものなのだろう。
さようなら平成くん……か。
ひとつの時代がもうすぐ終わり、
次の時代が来る気配を、
あらかじめ人々が知りながら過ごす年の瀬。
通常、人は200年生きないので、
誰ひとり前回の経緯を経験した者がいない。
ときに時代の変化は、
一個人が
生涯に経験できるスケールを
超える周期で動く。
大河が何百年ぶりに寝返りを打ち、
その寝姿を、
少しだけ変える様なものかも知れない。
200年どころか100年後でさえ、
私たちは誰も居ないのだろう。
時代、時代で、主が変わっても、
「器」自体はそこに存在し続ける。
そして誰も、その全体像を、
通しで経験することは出来ない。
神は存在すれども、
その全体像を
見切ることは出来ないように。